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2-9   

2010年 01月 21日

「のう、お主とはしばしの別れやも知れぬぞ。」
一瞬戸惑う桃青に
「少々、野暮用がおきてのう。」
「やゝでも出来たか。」
「む、それもある。が、それはさておき、近頃のお主、随分と腕を上げてきたよのう。」
「俺の句に息吹を与えたはお主ぞ。」
 「いやいや、俺はのう、我等が集団の力を自慢したまでの事よ。それもこれも皆御先祖様の汗と涙の賜物よ。吾等が代になるともう愚痴ばかりじゃて。特に守景が去った今では先代に肩を並べるものはちと出来ぬわ。これからはお主の時代じゃて。風の便りに名句を待つこととしょうぞ。」
 「簡単にお主は云うが、金屋(後藤)の小判造りとはちと違うぞ。所でお主、守景というとあの久隅守景か。そうか、やはり加賀にいたのは本当だったのか。」
 「そうよ、俺が連れてきた。我等が皿が気に入ってのう。どうしても筆を取りたいということであった。この男なら先代と並ぶ画を描くと踏んだのよ。値違わず大した男よ。ほれ、以前お主にも見せたよのう。ボラ待ち櫓の絵皿ぞ。能登の穴水の漁法よ、四角に組んだ網を川底に沈め小魚を獲るあれよ。」
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# by hirai_tom | 2010-01-21 08:37

2-8   

2010年 01月 19日

桃青にとっては皆目見当が付かない大きな集団の流れの中に、才次郎達の名が見え隠れし、それが才次郎であるかと思うと藤四郎であったり兵四郎であったりする。これは藤原氏の名を使った後藤集団の流れなのかと思ったりもする。現に、加賀で名を刻む才次郎は、藤原朝臣後藤才次郎と使わず、藤原朝官後藤才次郎と名乗っているのだ。つまり、俺は単なる前田家の臣ではなく、徳川家の官をも兼ねているのだと云わんばかりの態度であった。
才次郎の語る闇の世界は桃青にとっては無縁のものでなければならなかった。今の彼の立場は一流の俳諧師への道だけであった。

# by hirai_tom | 2010-01-19 00:32

2-7   

2010年 01月 17日

 後藤の技術集団に目を付けた前田家は、流石と言わざるを得なかった。徳川の世が安定してくると、文化の担い手としても後藤家の技術は脚光を浴び、技術者の移入は一層頻繁なものになっていた。彼等は京都、江戸、金沢と云うように、当初は一年毎に移動していたのだが、徐々に何れかに居を構えるに至っていた。
 加賀藩の後藤集団は浅野屋次郎兵衛、金屋彦四郎等によって采配され、脇後藤として越後から市衛門の系統を加えた才次郎の流れは、九谷鉱山・九谷焼の系譜に連なって行くのである。それは又秀吉、家康と続く後藤情報集団の加賀藩移行でもあった。
 三代加賀藩主前田利常は全てのことを承知の上で後藤家の導入を計ったのである。富山藩、加賀本藩、大聖寺藩とそれぞれに名を残す彼等の祖先たちの足取りは、利常公を中心とした緻密な連携策によってなされていった。彼等が利常を助け、そのことが徳川家を補佐するという二重性がそこにはあった。
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# by hirai_tom | 2010-01-17 18:28

2-6   

2010年 01月 15日

ある時、桃青はふと、それらの皿の中に“音”があることを感じ取っていた。“百花”と呼ばれる縁取りの草花の絵の中には鳥のさえずり、雑草の中の虫のざわめき、魚が飛び跳ねる音、見込みの絵からは時には人の話し声が聴こえたりもする。桃青はうれしくなった。己の句の中に欠けているものがここにはあったのだ。
彼等の技術は確実に、より造化をつかんでいた。そうか、句に広がりを持たすには、この細やかな造化を観る目が生きてくるのか。そして、この驚くべき感覚は、我等潜む者が持ち得る習性なのだ。桃青の身体に思わず戦慄が走っていた。
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# by hirai_tom | 2010-01-15 18:33

2-5   

2010年 01月 13日

彼らの焼き物の中には想像を絶するものがあった。桃青が初めてその皿に接した時、雷に打たれたような衝撃が走ったのを覚えている。
 今では、その衝撃は薄らいではいたが、時折見る皿の中には、ある種の恐怖を感じる時があった。それはいつの間にか桃青の感覚の中に興味として芽生えてきていた。
 自分には物に対するこれ程の細やかな観察力は無い。彼らの捉える造化は確実であり、それぞれ生き生きとしている。桃青は機会があるごとに彼等の皿々に触れ、心を落ち着かせじっくりとそれらをみる事によって何かをつかもうとしていた。いくつかの大皿の中には度肝を抜くような紋様があり、異様な世界が展開していた。神仏を強く感じさせるものもあった。現実の細やかな縁取りの表現は、見込みの中の別の世界を充分に効果づけ、現世と浄土が共存していた。そこには、心の奥底に潜む部分に入り込む感性があった




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# by hirai_tom | 2010-01-13 11:22