人気ブログランキング | 話題のタグを見る

3-2   

2010年 01月 29日

才次郎が屋敷に消え、半時も過ぎたろうか。
 「随分と話が弾んでおられますなあ。」
 控えにいた曽良と久米之助が二人の話に加わるように座敷に入った。
 「京、江戸と昔の事で話が尽きぬわい。こ奴も久しう間に、ほれ、たちまち老いぼれた。」
 「何々、ほれ、この通りぞ。主と違うて俺は不死身ぞ。」
 「やはり、お二人様の中には吾等には、ちと、入りきれませんなあ、河合様。」
 「左様にて候。」
 と、曽良は深々しく頭を下げる。四人は会心の笑みを持っていた。久々の心地よい笑いである。
 「所で、北枝は如何している。大丈夫かな。」
 「はい、ごゆるりとお休みで御座います。」
 「お師匠を無事にお護りなされ、お疲れが出たので御座いましょう。」
 「刀研師故、御油断召さるな。奴がいると、どうも動きがとれぬわ。仮病で逃げるしか手だては無いわい。」
「左様か、心して当たらねばならぬな。しかし、奴の持ち歩く杖にはたまげたぞ。」
 「左様で、北枝様の持ち歩く杖は、此方にまでもお噂が届いて居ります程に」
 内輪の笑いは、何時までも止むことを知らぬようである。
 

# by hirai_tom | 2010-01-29 18:17

3-1   

2010年 01月 28日

 あれから十余年の月日が流れていた。
 加州山中湯、泉屋の奥座敷、その板戸を開けた芭蕉は闇の中、岩陰にひっそりと身をかがめ跪く男を捉え、一瞬、身構えた。
 「お主、才次郎か。」
 「いかにも。」
 答える男の声は才次郎に違いなかった。
 そうか、今の俺は奴にとっては昔の桃青ではないのか、ふと寂しい想いが胸をよぎる、と、それを見透かしたかのように、すーっと芭蕉の目の前に近づいた男は、その面を上げ、にやりと笑った。
 「こやつ、人をからかいおって。早よう上がれ、誰ぞに見られぬうちに、さあ、早よう早よう。」

# by hirai_tom | 2010-01-28 18:19

2-12   

2010年 01月 27日

俳聖松尾芭蕉としての名声が加賀の才次郎の許に届くには、それ程の時を要しなかった。その句を風の便りに聞いた才次郎は、桃青が押しも押されぬ俳諧宗匠としての道を歩き始めたことを確信した。
 “古池や蛙飛びこむ”に続く“水の音”には、彼等にしか掴み得ない感性があった。
 
 かって、彼等達の祖を動かしていた人物は、小堀遠州公であった。幕府の伏見奉行であり、藤堂高虎公とも姻戚関係にある遠州公が造園師・茶人として桂離宮をはじめ、各大名家の庭園造りを手掛けている裏にはそうした背景があった。彼は利常公の依頼で加賀の地にも度々訪れている。祥瑞五郎太夫も又、遠州公の命により渡明し後、“肥前””九谷“に大きな影響を及ぼすのである。遠州亡きあと、藤堂藩は久々に俳聖芭蕉という大きな情報集団を育て上げたのである。

2-12_a0151866_164498.jpg

2-12_a0151866_168569.jpg

# by hirai_tom | 2010-01-27 01:33

2-11   

2010年 01月 25日

その後の桃青は一段と句に磨きがかかって行った。物を見る目に変化が生じてきていたのである。彼等に共通するものは“潜む者”が掴み得る習性であった。彼等は、じっと息を殺して潜む生活の中に“音”を捉えていたのである。
 いまひとつ、桃青が彼等の絵皿から得たものは、余白の持つ不可思議な美しさにあった。初めて、そうした皿に触れたとき、それは、白磁の素地の美しさを効果的に現わす手法であり、水墨画の影響かとも見たのだが、如何にもそれだけでは無さそうであった。木々の間から捉える空間の持つ不思議な広がり。水溜りかそれとも雪渓なのか、その不確かな空間に位置する凛とした鳥。それらは、彼等が求める神・仏の世の表現でもあった。
2-11_a0151866_23384879.jpg

2-11_a0151866_23534092.jpg


古九谷の名品

# by hirai_tom | 2010-01-25 18:37

2-10   

2010年 01月 23日

「おう、あの画が守景。そうか、そうだったのか。左様か、あれは並みの手ではないと見たが、守景であったのか。俺があの絵皿から掴んだものは大きいぞ。まさにあれこそ太公望じや。あの釣り人、韓人のようだったが。優雅にボラを待つ釣り人の向こうから浮き浮きと脚早で歩いてくる若者の話し声が今にも聞こえそうだった。これから、さあ、あの二人は連れだって何処へ遊びに行くのやら。そこら辺りをさらりと描くとこなんぞは見事という外はない。やはり狩野派を飛び出すほどの男よ。俳諧の極意も正にあれでなくては。」
 「そうか、お主も左様に思うか。」
 「所で、何ぞあったか。久隅は既に加賀にはいないのか。」
 「本藩と大聖寺藩の確執ぞ。」
 「お家の事情と云う奴か。」
 「そうよ、俺もそろそろ身の置き所を考えておこうと思ってのう。」
 「しかし、それがお主の狙いではなかったのか。」
 「む、そこが我が身の辛さよ。お主も今にわかる時が必ず来る。使命は第一ぞ。おかげで誰にも負けぬものはつかみ得た。しかしのう、そうなるとつらい。俺をしたって周りが動き出すのよ。何も知らぬ者までもがな。左様、誰をだますといっても身内を欺くは辛い。このまま消えようとさえ思う事がある。近頃は里心で京や肥前に帰るものも出る始末でのう。」
 「今の主の悩みはそれか」
 「因果応報ぞ。頼りにならぬ子孫を持ち、御先祖様もさぞ悲しんでいよう。その内、お主が御本尊様に見える時が来るやもしれぬ。その折にはよしなに頼むぞ。」
 才次郎は大きく笑った。それが才次郎との江戸での別れであった。

# by hirai_tom | 2010-01-23 07:42