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2010年 01月 28日

 あれから十余年の月日が流れていた。
 加州山中湯、泉屋の奥座敷、その板戸を開けた芭蕉は闇の中、岩陰にひっそりと身をかがめ跪く男を捉え、一瞬、身構えた。
 「お主、才次郎か。」
 「いかにも。」
 答える男の声は才次郎に違いなかった。
 そうか、今の俺は奴にとっては昔の桃青ではないのか、ふと寂しい想いが胸をよぎる、と、それを見透かしたかのように、すーっと芭蕉の目の前に近づいた男は、その面を上げ、にやりと笑った。
 「こやつ、人をからかいおって。早よう上がれ、誰ぞに見られぬうちに、さあ、早よう早よう。」
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by hirai_tom | 2010-01-28 18:19

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