「古九谷」余滴 ⑦   「古九谷」と初代柿右衛門   

2012年 03月 10日

 中国には完璧な陶磁器の歴史があり、日本には「古伊万里」という優れた磁器があるにもかかわらず、何故に「古九谷」は評価されてきたのか、何処が評価に値されたのか、今、改めて考えなくてはならない。
 恥ずかし事ではあるが、我が国の多くの美術館では今日「古伊万里」の中に「古九谷」は分類され、活字化されている。出版物はさることながら、其れが辞書類にまで及んでしまった。
 魯山人・加藤陶九郎・岡本太郎、哲学者の谷川徹三氏等、一見識を持たれた方達は次々と亡くなり、台頭するかのように、立場の上に立とうとする人達が出現している。後の世の人達は、今の時代をどの様に捉えるのだろうか興味が持たれるところです。
 さて、「古九谷」を”柿右衛門様式・古九谷様式”として「古伊万里」の範疇に分類した張本人、元東京国立博物館・陶磁室長の矢部良明氏の功罪は大きいものがあるが、一面、さすがと思われる興味ある指摘を、著書『世界をときめかせた伊万里焼』の中でされておられる。
 ”1640年代の中頃、初代柿右衛門はどの様な色絵を完成させたのであろうか、そう念願して20余年、得られた結論は、国定教科書のエピソードとは裏腹に、実は、赤絵具を極力控えめにして、濃厚な緑・黄・群青・紫などのガラス質の上絵具をたっぷりと使った、世に「古九谷」と呼ぶ色絵こそが、最盛期の伊万里の色絵であった。”とこの様に結論づけている。
 又、矢部氏は同著でこうも述べている。柿右衛門様式の「工芸美」にたいして古九谷様式は「芸術美」である。と 又、別の出版物では、同箇所に「古九谷様式」をうたいながら「古九谷」を表示し、ご自分なりの使い分けをされておられる。
 思うに、発掘物からスタートした学説は中々変えられないが、本物の「古九谷」に多く接するごとに、アートを”様式化”する愚を感じられたのでは? 
 発掘品からスタートしている今日の多くの学者たちは発掘がすべてであり、それに裏付けされた学説がすべてであります。その結果、アートである「古九谷」をかれらは平気で”古九谷様式”として分類してしまう。
 自国の優れたアートを”様式”として組み込み、自説のためなら平気で自国の財産価値をすり減らす国家公務員。その上、東洋陶磁学会という考古学者の多い団体が出来が悪い、彼らにとっては発掘品がすべてであり、人文科学は二の次である。彼らの結論は一見解として参考意見に留めるべきはずの文化庁も右に倣えが今日の状況である。

by hirai_tom | 2012-03-10 21:08

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