「古九谷」余滴  ⑥―⑤  「古九谷」は誰が造ったか?   

2012年 03月 02日

 ― 立乗・七郎兵衛 (1630年没)      ― 益乗・七郎兵衛 (1662年没)
    (*)右兵衛・兵庫頭・清永・清重       (*)市右衛門清重
        越後で三百石 (1628年没)               (1664年没)

    覚乗・勘兵衛 (1656年没)          清 乗 (1688年12月29日没)
       加賀後藤・三十人扶持           (*)七兵衛清寅
    (*)初代後藤才次郎「吉定」               (1688年11月27日没)
       越後から加賀へ (1652年没)         二代後藤才次郎「定次」
                                     実性院の位牌に
                                     ”泰岳院安翁淳清居士”


 長乗が脇後藤・勘兵衛家の祖とすれば、越後から来たと云う後藤才次郎の祖(市右衛門)とは、徳乗の弟の長乗という事になります。
 この事から、初代才次郎と顕乗・琢乗は従兄弟関係と云う事が解ります。又、二代才次郎は、初代才次郎の甥となります。
 この後藤宗家七代顕乗が、加賀での記録が消えた後藤「吉次」であり、この弥三右衛門(大聖寺藩士)が十年の歳を偽り、喜三右衛門(喜の字の中に「吉次」)として酒井田円西の娘婿となり、加賀の一字を加え加喜右衛門とし、初代酒井田柿右衛門が誕生します。前田利常の支援で色絵磁器を完成した顕乗は、妻子を残し帰藩し、(酒井田村)の権左右衛門として九谷村で築窯します。
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by hirai_tom | 2012-03-02 17:52

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