古九谷余滴  ⑥-④  「古九谷」は誰が造ったか?   

2012年 03月 01日

 ― 六代栄乗・四郎兵衛(1577~1617)            ― 八代即乗                                秀吉・秀頼に仕え、後一時浪人、長乗の取り成しで
         秀忠から山城の知行地を安堵される。
     (*)金屋彦四郎 四世「吉恵」
        後藤彦右衛門 (1615年没)
          ”秀吉公ヨリ知行三百石・京都デ病死”
                『大聖寺藩士由緒帳・後藤松吉郎』
    乗春 (夭折)
     (*)後藤次郎兵衛二男
        権之佐 (三代脇田帯刀)・京で「宗甫」
    七代顕乗・理兵衛家祖(1586~1663)            ― 九代程乗                                     前田家より禄百五十石
      (*)金屋彦四郎 五世「吉次」
         後藤弥三右衛門(1584~1665)
         田村権左右衛門(大聖寺・実性院に義山院忍翁宗利居士の位牌あり)
    琢乗・次右衛門 (1637年没)
           『石川県史』に”初代後藤才次郎「吉定」と共に加賀に来た”とある。
    女・本阿弥光室
    女・狩野氏信室
    女・本阿弥光刹室
    
  さて、後藤本家の系図と(*)加賀での名前及び、生年・没年が若干、異なっています。如何してかと言いますと、隔年ごとに移動していた後藤技術集団が、それぞれ当地に落ち着くという事は、此方にも家族が出来るという事です。加賀での藩士帳等では、晩年は京で浪人等と書かれています。つまり、当地を離れた年と京や他の地での没年の差があるわけです。 次に、徳乗の弟の長乗の流れを見ます。  
           
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by hirai_tom | 2012-03-01 22:03

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