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2010年 07月 18日

芭蕉の同行者・曽良の一つの役割は城下の幾つかの寺社を拝しながら藩の情勢をつかむ事に有った。徳川家との姻戚関係をより深めている加賀藩に関しては念入りに成らざるを得なかった。
かって此の地は一向宗の持てる国であり、此の地を治める前田家は並みの苦労ではなかったことが伺われる。宗派の異なる寺社を配置、表向きと異なる信仰などで介入策が取られたとみてよい。特に加賀藩に於いては伴天連の遺物が根強く残る事はいがめない事であった。寺社に残る前田家の奉納品等々にそれらが感じ取れた。織部灯籠の様に中央部に膨らみを持たせ“十字“に見立てたものが陶器の花生として鎮座されていた。
「さて、以前にお話し申しました吾等の縁の寺を訪ねましょうかな。」
「後藤銘の鐘楼ですか」

by hirai_tom | 2010-07-18 08:42

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