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2010年 07月 09日

 八月 六日(陽暦 九月十九日)
              雨降。滞留。未ノ刻、止。菅生石天神拝。将監湛照了山。

 此の日、小松では芭蕉翁は万子と小松天満宮に趣き、能順を梅林院に訪ねた。
 能順は明暦二年(1656)には既に、利常公・綱利・利次・利治等と連歌を賦し、その後、利常公に請われて、明暦三年より小松天満宮の別当として梅林院に在った。
 さて、明和七年(1707)刊行、建部涼袋の俳諧論『とはじぐさ』は、芭蕉と能順の出会いを、下記の様に伝える。
“能順出おはして、何くれとなく謂ひ語らひ給ふ中に、ばせをの曰ク、「かねてうし(大人・先生)のあそばしたる連歌の事どもを、をちこし承はるに、涙落して愛(めで)奉りき」といふに、あるじ聞給ひて、「そはいかなる歌をか聞て、しかのたまふ」とあれば、「
     秋風にすすきうち散るゆふべかな
とある御歌ぞ、たぐひあらじと、愛デ奉りき」と聞ゆ。さてあるじの曰ク。「さおぼえ給へるか、今一わたりとなへて、聞えたまへ」とあるに、ばせを又しかく唱えへけるを聞て、あるじのいわく「そこは聞しにも似ず、言葉にくらき人にておはせり。こはよしもなき事にいとまを費しぬる事よ。今宵はことに暇なかりしかど、万子の物し給うふによりてまみえき。さるくらき人と物かたらひて何かせむ。夫におはせよ」といひて、いや(礼)もなく入り給ひつ。こは何事に腹あしくし給ふやと、万子もばせをも、たつもはした(半)、居るもはしたにて、おもひわづらひける。
 そこへ若い法師が出て来たので、何故に能順が怒ったのかを聞いてみたところ、奥へ入った能順は、こう呟いていたというのである。
「かの句は『秋風はすすきうち散るゆふべかな』でなければ、言葉の続きも其のとまりもよくない。それを『秋風に』と覚えていて、人にもそのように語ってきたとは、なんとも浅間しい」
 そこで二人は、その日は何とかいい繕って退出してきた。”と,この様な具合である。

by hirai_tom | 2010-07-09 21:02

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