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2010年 05月 13日

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「左様か。その設えはどの様であった。」
「先ず、床には初代藩主利治(実性院)様御作の竹花入一重、釜は阿弥陀堂、信長公時代の蒔絵の香合、利休より織田三七殿への文(歌・世をうらミ人をつらしと思ふなようきを我身の上としらねば)、“九谷やき“水指、藤四郎銘の茶入、黄瀬戸茶碗、甫竹作茶杓等流石、内膳様の茶会で御座いました。」
「神谷内膳殿は後藤の南京焼の良き理解者であった故、九谷窯を閉じるには偲び難いものがあった事だろう。」
三代加賀藩主利常・初代大聖寺藩主利治様両公が、後藤一族に白羽の矢を立て完成に漕ぎ着けた南京焼。それを支えてきたのは、利治大聖寺分封と共に附家老(3000石)を務めた神谷元易、その後を継ぎ、筆頭家老として長きに亘り藩政を補佐した神谷守政(母・宇喜多秀家の娘、加那)であった。
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by hirai_tom | 2010-05-13 23:28

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