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2010年 05月 11日

 田村権十良(後藤彦右衛門)は芭蕉と曽良に向かい深々と頭を下げた。九谷の窮状を翁に報告し、下知を仰ぐべく藍九谷の中皿を送り、待ちわびたこの二年の年月を想う。
「お主からの便りで驚いたが、並みの事態ではないこと故、今日に至ってしまった。」
 翁も同様に頭を下げる。
「何を云われますか。昔の馴染みで、私の方こそ御無理を申しあげました。」
「お主達の立場も、幕府と加賀藩の緊張関係が在ってのもの。親藩以上に徳川家との結びつきが出来ましてはな。」
「左様で、先代の頃とは事情も違っております。吾等の未熟さも御座るが、何せ、大聖寺藩の財政も逼迫を増して御座います。その上に、本藩との関係も捗々しくは御座いません。」
「残念なことですな、加賀後藤の南京焼否、“九谷やき”も途絶えますか。処で、神谷様は。」
「はい、一昨年、神谷様御屋敷の三畳半の茶室で浅野屋次郎兵衛浄全(号・臘月庵)等関係者の集りが御座いました。」
「伴天連の云う“最後の晩餐”とやらかな」
「否、左様なものとは違いましょう。茶室は、伴天連ではバードレに懺悔と云うものを致す個室に相当致します。それ故、利休様は茶室をより小さく成されました。ま、其れはさて置き、確かに“最後の晩餐”であったやも知れませぬ。」
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by hirai_tom | 2010-05-11 22:45

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