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2010年 04月 07日

「古九谷」  余滴           ②-①

「古九谷」を”柿右衛門様式””古九谷様式”として「古伊万里」の範疇に組み入れた、元東京国立博物館・陶磁室長の矢部良明氏は、著書『世界をときめかせた伊万里焼』の中で“初代柿右衛門はどのような色絵を完成させたのであろうか、得られた結論は、赤絵具を極力控えめにして濃厚な緑・黄・群青・紫などの上絵具を使った世に「古九谷」と呼ぶ色絵こそが、最盛期の伊万里の色絵であった”と結論づけている。
 この様に「古九谷」と「初期柿右衛門」は、謎のべ~ルに包まれています。私は、同時代にピカソの様なア-チストは何人も出ないという観点から、初代柿右衛門(始め、喜三右衛門)<1596~1666年>と九谷焼の田村権左右衛門は同一人物であり、後藤家の中に、これらに比定される人物が必ずいると考えています。
後藤家は、足利義政に仕えた初代祐乗に始まり、代々金工師として認められ後、織田・豊臣・徳川と、時の権力者の求めに応じ貨幣鋳造に関わっていきます。徳川期に入ると、技術者が定着し、京の上後藤家、江戸の下後藤家、金沢の加賀後藤家がそれぞれ生まれます。こうした中、後藤家は、本阿弥家・狩野派等と深い姻戚関係で結ばれ、卓越した技能を不動のものとしていた。                   (つづく)
          
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by hirai_tom | 2010-04-07 00:57 | 余話

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