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2010年 03月 25日

「此方で、父権左右衛門が、再従弟の才次郎と共に初めて造り上げた色絵皿には、秘密が漏れぬように”大聖寺“の古称を忍ばせた。裏面の唐子の画を大の字に見立て、吾等にしか判らぬように“大勝持”とな。しかし、ここにも縁の寺に尻尾は残してある。城下にある本善寺の梵鐘にな。」
 「その南京皿が大聖寺藩で焼かれた、お主達の最初の“九谷やき”と云う事か。」
 「まあ、そうゆう事に成るが、父が向こうで試焼きして持ち帰った物もある。」
「初代柿右衛門が色絵の初物を、加賀様に売り始めたと云うのは斯様な事であったか。」
 「加賀様には“北前船”の航路が御座います。又、高山右近様の例も御座います様に、伴天連の技術を受け入れる土壌も御座います。“島原”での御騒動の折には、“隠れ”の方達が随分此方に移られたと聞いております。」
 「さては、柿右衛門に白磁染付の技術を伝えたと云う高原五郎七なる者も、隠れキリシタン容疑で肥前を出奔したと聞き及んではいるのだが、背後には、主等がいたか。」
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by hirai_tom | 2010-03-25 08:30

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