プロロ~グ   

2009年 12月 15日

九谷の藍の中皿が芭蕉の手元に届けられたのは、貞享四年(1687)の初夏の頃であった。皿には符牒と思しき難解文字、裏面には「芭蕉造」の銘が見られた。
 加賀の才次郎の身に何かが・・・・・。翁の顔が一瞬、強張ったかに思われた。
芭蕉と曽良が、目指す加賀の地に入ったのは、元禄二年(1689)盂蘭盆の十五日(陽暦八月二十九日)のことであった。
倶利伽羅峠を越えると、百万石を誇る城下町金沢である。藩主前田公は代々工芸、文化に力を注ぎ、京、江戸に勝るとも劣らぬ文化の華を咲かせていた。当然のように俳諧も盛んであり、芭蕉は盛大な歓迎を受けることになる。九日間の金沢滞在後、刀研師、立花北枝が道案内を兼ね、同行二人の旅に加わることになった。
小春、牧童等に見送られ、一行は八里の道を小松に入る。目的地山中湯は五里に迫っていた。利常公ゆかりの小松で二泊した一行は、北国街道の小松林を今江潟、柴山潟と巡り、白山の峰々を見ながら山背郷に入る。
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# by hirai_tom | 2009-12-15 13:51