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 「古九谷」余滴  ⑨―③  私の「古九谷」   

2012年 09月 12日

   「古九谷」余滴   ⑨ー③     私の「古九谷」

 いわば「古九谷」は、こうした流れの集大成であります。それは「伊万里」の様式化したものでもなければ、景徳鎮のコピーでもありません。そこには、まったく異質の世界観が展開します。それは、専制君主の圧力で出きたものでもなければ、量産志向のためのデザイン化でもありません。そこには、何ものにもとらわれない自由さと、自然を見つめる厳しい感性が息づいています。まさに、天才アーチスト田村権左右衛門の個性が光ります。「古九谷」は実に不思議な世界を形成し、私達に迫ってきます。私はそこに宗教を見ます。より完璧なものを求めた中国陶磁は、日本の文化圏に入り一段と神に近づくことになります。

# by hirai_tom | 2012-09-12 14:43

古九谷余滴    ⑨―②  「私の古九谷」   

2012年 09月 11日

        古九谷余滴   ⑨―②      私の「古九谷」

 造形美に対する感じ方は個々人みな異なっています。しかし、例えば山に登ることによって感じる自然の美しさ、或は、海辺で昇り降りする太陽に感動する。これらは、人間に共通するものです。私達の美意識はこうした経験によって形成されるのですが、この最上のものである自然美は、正に、神の造ったものであり、ここに、人間の創造美への挑戦は、神への挑戦の歴史となって形造られてい行くことになります。
 中国人はそれを陶磁器に求めました。青磁・白磁の素晴らしさは、世界を魅惑します。そして、朝鮮を経て日本に渡ってきたそれらの陶器は、室町から安土・桃山の風土の中で独自の文化を生み出します。それは、茶道の確立にも影響を与えます。秀吉の朝鮮出兵は、結果として”焼物戦争”という指摘もあります。
 こうした土壌の上に、景徳鎮の磁器が上陸します。ここに、東インド会社を通じて「伊万里」が華々しくデビューすることになります。しかし、これはあくまでも景徳鎮のコピイーであり、中国の不安定な政情が「伊万里」を檜舞台にのし上げたに過ぎません。日本の陶磁器の確立には、当時の文化の中心である京文化圏の媒介が必要となります。コピイーによる量産志向の「伊万里」は、あくまでもアルチザン(職人芸)の域を出ないものであり、偉大なアーチストの萌芽は京文化を経て初めて出現することになります。 

# by hirai_tom | 2012-09-11 10:27

古九谷余滴   ⑨   

2012年 09月 10日

    古九谷余滴  ⑨―①     私の「古九谷」
          二十数年前に書いた原稿が出てきたので、恥ずかしながら載せました。

 「古九谷」の存在を知らずにいた私が、何故か縁あって焼物に興味を持ちだし、もう十数年になる。それまでの私は、みやげさんの九谷焼や食器としての瀬戸物でしか焼ものに触れることがなく、周りに氾濫する九谷焼は、むしろ「古九谷」の存在を否定するものであった。
 いつの間にか私は、これらに反発するかのように、越前・信楽・美濃といった土物の世界に興味を覚えていた。そこには土味の面白さがあり、手触りの温かさは心をなぐ和ませるものがあった。しかし、そうした産地や美術館を見て歩くなかで私なりに得たものは、古いものの中に非常に優れたものが多いという事であった。
 そして、中でも一段と他のものを圧して存在していたのが「古九谷」という色絵磁器であった。それは何か心の深遠な部分に触れるものがあり、魂を揺さぶる何かを持っていた。この焼物との出会いは、私の一生にとってまさに画期的な事件であった。

# by hirai_tom | 2012-09-10 14:33

「古九谷余滴」 ⑧ 岡本太郎のいうアート   

2012年 03月 13日

 かって、山中温泉で毎年行われている”古九谷修古祭”でも公演されておられる岡本太郎氏は、著書の『今日の芸術』で、芸術は創造です。だから新しいということは、芸術における至上命令であり、絶対条件です。と述べられています。
 そして、同著で”モダンアート”を二つの系列で説明しています。「古九谷」とは何か!が解るのではと思います。
 
 モダンアート
     抽象芸術(アプストラクト)  一  幾何学的な丸・三角・四角、あるいは、何々だ、ということのできな                          いようなあらゆる形態、それに入り混じる線などが画面を占めてい                           ます。色彩もそれに応じて、リンゴの赤とか樹木の緑というような説                          明的意味を離れた、自由さを持っています。

     超現実派(スュールレアリスム)
                       一  理性、道徳、美などという人間生活の上っかわにあって、時代と場                          所によって常に移り変わったり、基準を失うようなものを徹底的に疑                          い、人間性の奥底に潜んでいる本質をえぐり出し、人間本能の非合                          理性を追求。
                           神話・伝説に登場する化け物、夢物語は非現実的であり、仏像の
                          十一面の顔・千本の手等も、ただの写実よりもはるかに強く私達に                          迫ってきます。

# by hirai_tom | 2012-03-13 21:37

「古九谷」余滴 ⑦   「古九谷」と初代柿右衛門   

2012年 03月 10日

 中国には完璧な陶磁器の歴史があり、日本には「古伊万里」という優れた磁器があるにもかかわらず、何故に「古九谷」は評価されてきたのか、何処が評価に値されたのか、今、改めて考えなくてはならない。
 恥ずかし事ではあるが、我が国の多くの美術館では今日「古伊万里」の中に「古九谷」は分類され、活字化されている。出版物はさることながら、其れが辞書類にまで及んでしまった。
 魯山人・加藤陶九郎・岡本太郎、哲学者の谷川徹三氏等、一見識を持たれた方達は次々と亡くなり、台頭するかのように、立場の上に立とうとする人達が出現している。後の世の人達は、今の時代をどの様に捉えるのだろうか興味が持たれるところです。
 さて、「古九谷」を”柿右衛門様式・古九谷様式”として「古伊万里」の範疇に分類した張本人、元東京国立博物館・陶磁室長の矢部良明氏の功罪は大きいものがあるが、一面、さすがと思われる興味ある指摘を、著書『世界をときめかせた伊万里焼』の中でされておられる。
 ”1640年代の中頃、初代柿右衛門はどの様な色絵を完成させたのであろうか、そう念願して20余年、得られた結論は、国定教科書のエピソードとは裏腹に、実は、赤絵具を極力控えめにして、濃厚な緑・黄・群青・紫などのガラス質の上絵具をたっぷりと使った、世に「古九谷」と呼ぶ色絵こそが、最盛期の伊万里の色絵であった。”とこの様に結論づけている。
 又、矢部氏は同著でこうも述べている。柿右衛門様式の「工芸美」にたいして古九谷様式は「芸術美」である。と 又、別の出版物では、同箇所に「古九谷様式」をうたいながら「古九谷」を表示し、ご自分なりの使い分けをされておられる。
 思うに、発掘物からスタートした学説は中々変えられないが、本物の「古九谷」に多く接するごとに、アートを”様式化”する愚を感じられたのでは? 
 発掘品からスタートしている今日の多くの学者たちは発掘がすべてであり、それに裏付けされた学説がすべてであります。その結果、アートである「古九谷」をかれらは平気で”古九谷様式”として分類してしまう。
 自国の優れたアートを”様式”として組み込み、自説のためなら平気で自国の財産価値をすり減らす国家公務員。その上、東洋陶磁学会という考古学者の多い団体が出来が悪い、彼らにとっては発掘品がすべてであり、人文科学は二の次である。彼らの結論は一見解として参考意見に留めるべきはずの文化庁も右に倣えが今日の状況である。

# by hirai_tom | 2012-03-10 21:08