「古九谷」余滴 ⑨―③ 私の「古九谷」
2012年 09月 12日
「古九谷」余滴 ⑨ー③ 私の「古九谷」
いわば「古九谷」は、こうした流れの集大成であります。それは「伊万里」の様式化したものでもなければ、景徳鎮のコピーでもありません。そこには、まったく異質の世界観が展開します。それは、専制君主の圧力で出きたものでもなければ、量産志向のためのデザイン化でもありません。そこには、何ものにもとらわれない自由さと、自然を見つめる厳しい感性が息づいています。まさに、天才アーチスト田村権左右衛門の個性が光ります。「古九谷」は実に不思議な世界を形成し、私達に迫ってきます。私はそこに宗教を見ます。より完璧なものを求めた中国陶磁は、日本の文化圏に入り一段と神に近づくことになります。
いわば「古九谷」は、こうした流れの集大成であります。それは「伊万里」の様式化したものでもなければ、景徳鎮のコピーでもありません。そこには、まったく異質の世界観が展開します。それは、専制君主の圧力で出きたものでもなければ、量産志向のためのデザイン化でもありません。そこには、何ものにもとらわれない自由さと、自然を見つめる厳しい感性が息づいています。まさに、天才アーチスト田村権左右衛門の個性が光ります。「古九谷」は実に不思議な世界を形成し、私達に迫ってきます。私はそこに宗教を見ます。より完璧なものを求めた中国陶磁は、日本の文化圏に入り一段と神に近づくことになります。
# by hirai_tom | 2012-09-12 14:43