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「後藤宗家系図」と加賀後藤   

2012年 09月 13日

 
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by hirai_tom | 2012-09-13 01:23

 「古九谷」余滴  ⑨―③  私の「古九谷」   

2012年 09月 12日

   「古九谷」余滴   ⑨ー③     私の「古九谷」

 いわば「古九谷」は、こうした流れの集大成であります。それは「伊万里」の様式化したものでもなければ、景徳鎮のコピーでもありません。そこには、まったく異質の世界観が展開します。それは、専制君主の圧力で出きたものでもなければ、量産志向のためのデザイン化でもありません。そこには、何ものにもとらわれない自由さと、自然を見つめる厳しい感性が息づいています。まさに、天才アーチスト田村権左右衛門の個性が光ります。「古九谷」は実に不思議な世界を形成し、私達に迫ってきます。私はそこに宗教を見ます。より完璧なものを求めた中国陶磁は、日本の文化圏に入り一段と神に近づくことになります。
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by hirai_tom | 2012-09-12 14:43

古九谷余滴    ⑨―②  「私の古九谷」   

2012年 09月 11日

        古九谷余滴   ⑨―②      私の「古九谷」

 造形美に対する感じ方は個々人みな異なっています。しかし、例えば山に登ることによって感じる自然の美しさ、或は、海辺で昇り降りする太陽に感動する。これらは、人間に共通するものです。私達の美意識はこうした経験によって形成されるのですが、この最上のものである自然美は、正に、神の造ったものであり、ここに、人間の創造美への挑戦は、神への挑戦の歴史となって形造られてい行くことになります。
 中国人はそれを陶磁器に求めました。青磁・白磁の素晴らしさは、世界を魅惑します。そして、朝鮮を経て日本に渡ってきたそれらの陶器は、室町から安土・桃山の風土の中で独自の文化を生み出します。それは、茶道の確立にも影響を与えます。秀吉の朝鮮出兵は、結果として”焼物戦争”という指摘もあります。
 こうした土壌の上に、景徳鎮の磁器が上陸します。ここに、東インド会社を通じて「伊万里」が華々しくデビューすることになります。しかし、これはあくまでも景徳鎮のコピイーであり、中国の不安定な政情が「伊万里」を檜舞台にのし上げたに過ぎません。日本の陶磁器の確立には、当時の文化の中心である京文化圏の媒介が必要となります。コピイーによる量産志向の「伊万里」は、あくまでもアルチザン(職人芸)の域を出ないものであり、偉大なアーチストの萌芽は京文化を経て初めて出現することになります。 
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by hirai_tom | 2012-09-11 10:27

古九谷余滴   ⑨   

2012年 09月 10日

    古九谷余滴  ⑨―①     私の「古九谷」
          二十数年前に書いた原稿が出てきたので、恥ずかしながら載せました。

 「古九谷」の存在を知らずにいた私が、何故か縁あって焼物に興味を持ちだし、もう十数年になる。それまでの私は、みやげさんの九谷焼や食器としての瀬戸物でしか焼ものに触れることがなく、周りに氾濫する九谷焼は、むしろ「古九谷」の存在を否定するものであった。
 いつの間にか私は、これらに反発するかのように、越前・信楽・美濃といった土物の世界に興味を覚えていた。そこには土味の面白さがあり、手触りの温かさは心をなぐ和ませるものがあった。しかし、そうした産地や美術館を見て歩くなかで私なりに得たものは、古いものの中に非常に優れたものが多いという事であった。
 そして、中でも一段と他のものを圧して存在していたのが「古九谷」という色絵磁器であった。それは何か心の深遠な部分に触れるものがあり、魂を揺さぶる何かを持っていた。この焼物との出会いは、私の一生にとってまさに画期的な事件であった。
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by hirai_tom | 2012-09-10 14:33