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13-5   

2010年 07月 19日

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菅生石部社、・水守社を抜け、鍛冶町にはいる。立派な門構えに甍が二棟、頭を出している。
「手前が願成寺、隣りが本善寺です。何れの鐘楼にも“藤原朝官後藤才次郎定次”の鐘銘が入って居ります。」
「後藤は炉を使う物は何なりと、と云う事か」
「此処の物は福井の方で造らせました。“芝原”と云う所に鋳物の集団が居ります。」
「其処にも拠点が」
「其処が又面白い」
「技術集団には矢張り、伴天連の技術が」
「其処は又、後程に」
「処で、父君権左右衛門が亡くなられ、才次郎と御主等の代に入り、九谷の絵付けも随分と肩代わりをしたようじゃが」
「左様。才次郎にとっても、父の死は答えた様じゃ。」
「其処で、絵付けは久隅守景の手を借りたと云う事か。」
「まあ、守景一人と云う訳ではないが。」
「去れど、絵師を幾ら揃えても、中々先代には成るまい。」
「まあ、そうでもあるまい。去れど、時代と云うものか、さて、九谷やきの絵付け技術は有るのだが・・・。此れが何か、先代とは違ってくる。」
「左様左様。御師匠と吾等の様なもので、此れは移管し難い。あっはっはあー。」
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by hirai_tom | 2010-07-19 12:17

13-4   

2010年 07月 18日

芭蕉の同行者・曽良の一つの役割は城下の幾つかの寺社を拝しながら藩の情勢をつかむ事に有った。徳川家との姻戚関係をより深めている加賀藩に関しては念入りに成らざるを得なかった。
かって此の地は一向宗の持てる国であり、此の地を治める前田家は並みの苦労ではなかったことが伺われる。宗派の異なる寺社を配置、表向きと異なる信仰などで介入策が取られたとみてよい。特に加賀藩に於いては伴天連の遺物が根強く残る事はいがめない事であった。寺社に残る前田家の奉納品等々にそれらが感じ取れた。織部灯籠の様に中央部に膨らみを持たせ“十字“に見立てたものが陶器の花生として鎮座されていた。
「さて、以前にお話し申しました吾等の縁の寺を訪ねましょうかな。」
「後藤銘の鐘楼ですか」
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by hirai_tom | 2010-07-18 08:42

13-3   

2010年 07月 14日

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さて、大聖寺城下、全昌寺に宿した曽良は朝餉を済ますと、権十良の案内で藩主の菩提寺である実性院の歴代藩主の墓を訪れた。(此の一帯は現在、山ノ下寺院群と呼ばれ、熊坂川に沿うように実性院・蓮光寺・久法寺・全昌寺・正覚寺・宗寿寺・本光寺・加賀神明宮白山宮と並ぶように在る。)
実性院は全昌寺の目と鼻の先に在った。院の左方の藩士の墓に沿って坂道を登る。路の脇には家老神谷内膳寄進の灯籠が並んでいる。
「織部灯籠ですかな」
「其の様です。中程に膨らみが見えます。」
「マリア像は彫られては御座いません。」
 階段を登りきると、頂が広場と成り、見事な墓が並んでいる。
「此れは参り申した。まるで、天主が並んで居る様で流石、前田家で御座いますな。」
「高岡の二代利長公廟所・金沢 野田山の本藩の歴代墳墓と云い、加賀藩主の祖先への気持ちは並みでは御座いません。」
「左様ですな。道すがら何れの廟所も拝見致しましたが、其々に想いが感ぜられます。」
「殉死した家臣達の墓も添うように、中沢・小沢・小栗何某と在る。」
「利治公の亡くなられた時の例の一件か」
「公の死にも謎が多く、吾が才次郎も駆け付けたが、面会は叶わなかった。」
「さて、又降って参りましたな。」
「神社の方も幾つか拝したいのだが」
「最もで御座いますな。左様に致しますか。」



 
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by hirai_tom | 2010-07-14 11:51

13-2   

2010年 07月 09日

 八月 六日(陽暦 九月十九日)
              雨降。滞留。未ノ刻、止。菅生石天神拝。将監湛照了山。

 此の日、小松では芭蕉翁は万子と小松天満宮に趣き、能順を梅林院に訪ねた。
 能順は明暦二年(1656)には既に、利常公・綱利・利次・利治等と連歌を賦し、その後、利常公に請われて、明暦三年より小松天満宮の別当として梅林院に在った。
 さて、明和七年(1707)刊行、建部涼袋の俳諧論『とはじぐさ』は、芭蕉と能順の出会いを、下記の様に伝える。
“能順出おはして、何くれとなく謂ひ語らひ給ふ中に、ばせをの曰ク、「かねてうし(大人・先生)のあそばしたる連歌の事どもを、をちこし承はるに、涙落して愛(めで)奉りき」といふに、あるじ聞給ひて、「そはいかなる歌をか聞て、しかのたまふ」とあれば、「
     秋風にすすきうち散るゆふべかな
とある御歌ぞ、たぐひあらじと、愛デ奉りき」と聞ゆ。さてあるじの曰ク。「さおぼえ給へるか、今一わたりとなへて、聞えたまへ」とあるに、ばせを又しかく唱えへけるを聞て、あるじのいわく「そこは聞しにも似ず、言葉にくらき人にておはせり。こはよしもなき事にいとまを費しぬる事よ。今宵はことに暇なかりしかど、万子の物し給うふによりてまみえき。さるくらき人と物かたらひて何かせむ。夫におはせよ」といひて、いや(礼)もなく入り給ひつ。こは何事に腹あしくし給ふやと、万子もばせをも、たつもはした(半)、居るもはしたにて、おもひわづらひける。
 そこへ若い法師が出て来たので、何故に能順が怒ったのかを聞いてみたところ、奥へ入った能順は、こう呟いていたというのである。
「かの句は『秋風はすすきうち散るゆふべかな』でなければ、言葉の続きも其のとまりもよくない。それを『秋風に』と覚えていて、人にもそのように語ってきたとは、なんとも浅間しい」
 そこで二人は、その日は何とかいい繕って退出してきた。”と,この様な具合である。
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by hirai_tom | 2010-07-09 21:02

13-1   

2010年 07月 08日

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 八月 五日(陽暦 九月十八日)
      朝曇。昼時分、翁・北枝、那谷へ趣。明日、於小松、生駒万子為出会也。[][][]則従シテ帰テ、即刻、立。大正侍趣。全昌寺へ申刻着、宿。夜中、雨降。

  『おくのほそ道』での翁、この日の記述。
 曽良は腹を病みて、伊勢の国長島という所にゆかりあれば、先立ちて行くに、
     行き行きて倒れ伏すとも萩の原           曽良
と書き置きたり。行く者の悲しみ、残る者の憾み、隻鳧の別れて雲に迷ふがごとし。予もまた、
     今日よりや書付消さん笠の露

 この日、那谷寺方面へ向かう芭蕉・北枝を黒谷橋で見送った曽良は、大聖寺へと旅立つ。     
曽良は泉屋が旦那である全昌寺に申の刻に着き、泊まる。外は雨である。
「御客人、田村様が御出でに御座います。」
「左様ですか、どうぞ御通し下さい。」
「暫らく御無沙汰致しておりました。」
「何をおっしゃいます。福井での工面をして頂き、御苦労をお掛け致しました。」
「此処は年寄りにお任せを」
「何々、御師匠とは少し御年をと聞き及んでおりましたが、奥山での健脚には参り申した。」
「処で、師匠は今日は小松で」
「左様で。明日は生駒万子様と共に天満宮の能順様にお会い為される手筈で御座います。」
「左様か。さてどの様に成りますかな、何せ小松天満宮は利常公の云わば根城。」
「それ故に、師匠も発句奉納をと。」
「そなた達の当藩滞在には、加賀本藩も心穏やかではない。別当能順は並みの御方では御座らん。さて、万子の立場も此処はちと、厄介な事になるわ。」
「天満宮には矢張り遺物が残って居りますか。」
「なあーに、お主達が伊達様の瑞巌寺で見られた様なもので、さて此処は能順様のお手並み拝見と云う処ですか」
「発句奉納には至りませんか。」
「左様じゃな。天神様の境内に、梅林院を訪ねる事になるが、先ず、門前払いじゃろう。」
「さて、弱りましたな。奥には入れませぬか」
「奥にも庭にもむりでしょうな。」
「洒落を云う時では御座いません。」
「左様で。庭には等身大の灯篭が。」
「で、矢張り伴天連の印が」
「十字が一目で判る様にな。」
 
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by hirai_tom | 2010-07-08 00:41

12-2   

2010年 07月 05日

 戌の刻、泉屋奥座敷   
一芭蕉・曽良・北枝・自笑・桃妖一

「御師匠様。明日はいよいよ御立ちの日と成りました。御名残り惜しゅう御座います。」
「随分長い間御世話を戴きましたな。皆様方に余りに良くしていただき、ついつい帰る舟を失いかけて居りました。御蔭さまで曽良の身体も癒えました。御蔭を持ちまして明日は心置きなく旅立つ事が出来ます。」
「御師匠の仰られるとうりに御座います。去れど、今日で山中の長湯と別れるは何とも心残りに御座いますなあ。」
「今宵が最後の上げ湯と思うと、格別の想いじゃな。皆様方にはお礼の句を贈らねばな。」
 翁、餞別の句を詠み、桃妖に渡す。
    “湯の名残今宵は肌の寒からむ”
「是は誠に有難き事で御座います。久米之助、明日は皆の衆にもお披露目せねばな。」
「伯父御様。町衆も喜びましょう。」
 北枝も続く。
    “きくの里みるたびなかむゆの名残”
「誠に名残が尽きぬが、山中湯には町衆が。金沢にはこの様に北枝を始め良き衆が居る。明日出向く小松にも頼もしき仲間衆が募る。加賀は“天下の書府”と豪語する所以じゃな。」
「御師匠。町衆は別として、天満宮の御方には心をお配りせねばと。」
「何々、同じ道を歩む者同志、構えるものでもなかろう。」
「去れば、今宵は曽良様と打ち合わせも御座いましょう程に。」
「其のように致しましょう。昨夜も三日月は逃しましたが、今宵も此の雨では句も浮かびませぬ。此処は御師匠に先んじて美濃の衆と名月をむかえる事と致します。」
「そなたには相済まぬ事と成ったが」
「“同行二人”の御二人に御座います。別々に御歩かれても想いは御一つ、処は違えども同じ名月を見られる事で御座いましょう。」
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by hirai_tom | 2010-07-05 16:15