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古九谷余滴       ⑤   

2010年 06月 28日

               古九谷余滴             ⑤

  第35回 古九谷修古祭の『基調講演』テーマ≪古九谷様式って、何?≫で石川県立美術館館長 嶋崎丞氏の講演がありました。
 伊万里論者は『古九谷』が余りにも素晴らしので“古伊万里様式”とはせずに“古九谷様式”としている。これも一時的なものでしょう。として、平成四年元旦の嶋崎館長宛の故、楢崎彰一氏の“賀状”が紹介されました。
 賀状には「伊万里論者の暴走も一時的流行で、私は案じておりません。土の香りを知らぬ都会人には感覚的なものが欠如しています。」とありました。
 平成三年の東洋陶磁学会に於いて、嶋崎氏らの不在の(欠席裁判?)形で『古九谷』抹殺論が展開され、決議?(何の学会かは知らぬが、問題を提起し、議論を戦わすことが使命であるはず。)成された年末に書かれた、学界の長老格の楢崎氏からのもので、嶋崎館長は、氏が亡くなられたので公開しましたとの事でした。
 又、石川県内で個人の方がお持ちで有った“白生地”も紹介されました。『古九谷青手樹木図平鉢』と同じ物と考えてよいのではとの事で、“九谷”出来のものか“山辺田“の物か議論されるべきもので、どちらにせよ加賀には伝世古九谷の素地が存在した証拠との事。
        
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by hirai_tom | 2010-06-28 12:11

12-1   

2010年 06月 26日

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 八月 四日 (陽暦 九月 二十七日)
               朝、雨止。巳ノ刻、又降而止。夜入、降。

「御師匠。御目覚めで御座いますか。昨夜は随分と疲れました。」
「はいはい、私も同様で。昨夜からの雨で、ちと、気が滅入って居りました。」
「はて、曽良様は。」
「何、矢張り此の雨が応えたようで。朝湯の様ですな。」
「さてさて、山中の朝湯が、すっかり身に付きましたかな。」
「さて、如何したものかな。明日は、吾等は小松へと戻る旅立ちだが。曽良も一足先に大正寺へとな。」
「曽良様の御身体が気に掛かりますかな。」
「む。其処での相談じゃが。三吟は昨夜までと致すして。」
「続きは御師匠と私とでと云う事で。」
「何せ、此処は一つ曽良との別れ故、格別に“三両吟”も一興かと」
「流石は御師匠。私に異存が有る筈も御座いません。」
「いざ出立つとなれば、曽良も何かと身支度もと思うてな」
「曽良様には左様に。」
「曽良はその様にと」
「御師匠、昨夜は随分と湯女を待たせてしまいました。」
「それは、気の毒を致しましたな、
       ”手枕にしとねのほこり打ち払ひ”       翁
如何ですかな」
「これは参りました。」
「左様かな」
「今朝は、早速まいりましょうか」
   翁と北枝の歌仙となる。
       ”うつくしかれと覗く覆面”            北枝
「さてさて、湯女はほっ被り、此の地では獅子とな、ここは・・・若衆といきましょう。」
   この様にして、山中湯での”翁直しの三両吟”が巻かれていった。
       ”つぎ小袖薫(たきもの)うりの古風也”    翁
         (此句に次四五句つぎて、しとねに小袖気味よからずながらなおしがたしとて、其儘におき玉   ふ。)
       ”非蔵人なるひとのきく畠”           仝
         (我、此句は三句のわたりゆへ、向へて附玉ふやと申ければ、うなづき玉ふ。)
       ”鴫ふたつ台にのせてもさびしさよ”     北枝
         (はこびよしと称し給ふ)
       ”あはれに作る三日月の脇”          仝
         (かくなる句もあるべしとぞ。)
       ”初発心草のまくらに旅寝して”        翁
         (かゝる句は、巻ごとにあるものなりと笑ひ玉ふ。)
       ”小畑もちかし伊勢の神風”          仝
       ”疱瘡は桑名日永もはやり過ぎ”       北枝
       ”ひと雨ごとに枇杷つはる也”          仝
       ”細ながき仙女の姿たをやかに”        翁
         (我感心しければ、翁も微笑したまふ)
       ”あかねをしぼる水のしら波”          仝
       ”仲綱が宇治の網代とうち詠め”       北枝
         (此句も、一巻のかざりと笑ひたまふ。)
       ”寺に使をたてる口上”              仝
       ”鐘ついてあそばん花の散りかゝる”      翁
         (ちらばちれと案事侍れど、風流なしとぞ。)
       ”酔狂人と弥生くれ行”              仝
         (其人の風情をのべたるなり。されど挙句は心得あるべしとしめし玉ふ。)
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by hirai_tom | 2010-06-26 21:39

11-8   

2010年 06月 25日

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   芭蕉は此の付句で迷うて推敲を。
「はて、今一つじゃな。」
「左様ですかな」
       “手枕に軒の玉水詠め侘び”
「如何にも落ち着きませんな」
「さて、前句に対しては手枕はうつりがよいと思うが、如何も巧くない。ここは北枝に預けると致そうか」
「さて、弱りました。」
      “手枕もよだれつたふてめざめぬる”
「いけませんな」
「左様で」
      “手枕に竹吹きわたる夕間暮”
「さて、如何にも。」
「さてさて、随分と疲れました。今日の処は此処までに致そう。」
「よろしいかと」

 
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by hirai_tom | 2010-06-25 01:05

11-7   

2010年 06月 23日

“髪はそらねど魚くはぬなり”        北枝
      (前句に心ありて関心なりと称し玉ふ)
 “蓮のいととるもなかなか罪ふかき      曽良
      (さもあるべし、曽良はかくの処を得たりと称し玉ふ)
 “四五代貧をつたえたる門”         翁
      (先祖のと直し玉ふ)
 “先祖の貧をつたえたる門”
 “宵月に祭りの上代かたくなし”       北枝
      (有明と直)
 “有明の祭の上座かたくなし”
 “露まづはらふ猟の弓竹”          曽良
 “秋風はものいはぬ子もなみだにて”     翁
      (我、此句は秀一なりと申しければ、各にも劣らぬ句有、と挨拶し玉ふ)
 “しろきたもとのつづく葬礼”        北枝
 “花の香に奈良の都の町作り”        曽良
      (はふるき、と直し玉ふ)
 “花の香は古き都の町作り”
 “春をのこせる玄じょうの箱”        翁
 “長閑さやしらら難波の貝多し”       北枝
       (貝づくしと直る)
 “長閑さやしらら難波の貝づくし”
 “銀の小鍋にいだす芹焼”          曽良
 “手枕におもふ事なき身なりけり”      翁
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by hirai_tom | 2010-06-23 02:08

11-6   

2010年 06月 21日

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この様にして、芭蕉の推敲で手直しされながら三吟の歌仙は巻かれ、蕉風の真髄が示されていった。(この三人で巻かれた歌仙では、曽良の句は二十句目で終わっている。曽良の先立ちへの餞別として山中湯で巻かれた歌仙は、“三両吟”と云う特殊なもので、二十句以後の十六句は翁と北枝の“両吟”と成っている。)
     “鞘ばしりしを友のとめけり”        北枝
      (友の字おもしとて、やがてと直る。)
“鞘ばしりをやがてとめけり”と。
“青渕に獺の飛びこむ水の音”        曽良
      (二三疋と直し玉ひ、暫くありて、もとの青渕しかるべし、と有し)
     “柴かりこかす峯のささ道”         翁
      (たどるとも、かよふとも案事給ひしが、こかすにきはまる)
     “松ふかきひだりの山は菅の寺”       北枝
      (柴かりこかすのうつり上五文字、霰降ると有るべしと仰せられき)
     “霰降る左の山は菅の寺”と
     “役者四五人田舎わたらひ”         曽良
      (遊女と直る)
     “遊女四五人田舎わたらひ”
     “こしはりに恋しき君が名もありて”     翁
      (落書にと直し給ふ)
     “落書に恋しき君が名も有て”
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by hirai_tom | 2010-06-21 21:34

11-5   

2010年 06月 20日

  八月 三日 (陽暦 九月 十六日)
             雨折々降。及暮、晴。山中故、月不得見。夜中、降。

出蔵屋自笑・泉屋桃妖等の控える中、三吟(芭蕉・曽良・北枝)の歌仙が・・・・。
「本日の歌仙は曽良の先行きへの餞別故、発句は北枝と致そう。」
「発句は御師匠とばかり思って居りました。此れは弱り申した・・・・。其れでは、至らぬ所の御指導を。」
    “馬かりて燕追ひ行くわかれかな”       北枝 
「うむ、南へと帰って行く燕を見送る気持ちは、曽良への私の思い。さて、脇は曽良と致そう。」
「はい、別れの気持ちを旅立ちに致して。」
     “花野に高き岩の曲め”           曽良
「少し障ろうかな。花野に高きでは、脇句として強い。脇は発句に添うようにな。此処は、気持ちの乱れを入れて。」
     “花野みだるる山の曲め”
「左様で御座いますな、全く私の想いが届きました様で。」
     “月はるる角力に袴踏ぬぎて ”        翁
「さて、一面咲き乱れている野原。此処は一つ、勢いを付け」
     “月よしと相撲に袴踏ぬぎて”
「之で、少し情景が浮かぶか。」
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by hirai_tom | 2010-06-20 01:09

11-4   

2010年 06月 18日

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 曽良、泉屋に戻る。
「よい処に帰って参った。北枝も聞いて欲しいのだが、何時までも此の地に御厄介に成る訳でもなし、そろそろ腰を上げねばと思いながら今日に至ってしまった。折よく、小松からの誘い。町衆への添削も一段落過ぎ、ここらが潮時と思う。此の後、吾等三人が一処に会す事も無かろう。此処は吾ら三人で“歌仙”を巻こうと思うのだが。」
「師匠。それは願っても無い事に御座います。実の処、拙者の方も此れ以上皆様方に迷惑をお掛けする訳には参りませぬ。小松には戻らず先を行こうと思って居りました。」
「御師匠。三人で歌仙を巻けるとは想っても居りませんでした。さぞや加賀の衆が羨む事で御座いましょう。」
「さすれば、明日は、曽良への餞別の歌仙と致そう。」      
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by hirai_tom | 2010-06-18 19:21

11-3   

2010年 06月 17日

 ≪八月二日付の塵生宛の礼状≫
 御飛札、殊に珍敷乾うどん弐箱被贈下、不浅御志之義と忝存候事に候。如仰此度は得御意、珍重に存候。此地へ急ギ申候故、御暇請も不申残念に存候。然ば天神奉納発句之義得其意候。無別義御座候。入湯仕舞候はば其元へ立寄申筈に御座候間、其節之義に可被成候。猶其節御礼可申伸候条、不能詳候。不宣

        八月二日                芭蕉
  塵生雅丈
     廻酬
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by hirai_tom | 2010-06-17 22:05

11-2   

2010年 06月 17日

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八月 二日(陽暦 九月十五日)                         
                     快晴。
 翁、書状をしたためている。
「御師匠、失礼致します。」
「北枝か.」
「今日はお疲れで御座いましょう。」
「嫌々、昨日は随分と楽しませて戴きました。此の地で旅の疲れがすっかり癒されました。町衆の方々、中々俳諧に御熱心で今後が楽しみな事です。」
「左様で御座いますな。自笑様が皆様を御指導為されて居られます程に。」
「帰る舟を無くして居りましたが、何時までも此の地に御厄介に為って居る訳にも参りません。昨日、小松の塵生が入湯見舞いと云うて、乾うどんを届けてくれた。」
「御礼状で御座いますな。」
「生駒万子に会う為の小松行きで有ったが、俳人の方々が天満宮への発句奉納を是非にとな。」
「御受け為されましたか・・・」
「何か不都合でもあるのかな」
「否。左様な事は御座いませぬが、別当職の能順様は北野社職をも兼ね、連歌の宗匠としても尋常な御人では御座いませぬ様で。」
「其れは又、楽しみが増えましたわい。」
「さて、曽良様は何処に。」
「病には山中湯が一番と云うていたが。」
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by hirai_tom | 2010-06-17 00:27

11-1   

2010年 06月 15日


八月 朔日(九月十四日) 快晴。黒谷橋へ行。
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  上述の 『曽良随行日記』には”快晴。黒谷橋へ行。”とだけ在る。この黒谷橋は現在の位置の少し上流の場所(元黒谷)にあり、橋を渡って山越えで那谷寺方面(右)、川沿いに山代湯方面(左)と間道があった。
 
 出蔵屋自笑は其の時の事を、後に金沢の俳人句空に語っている。”此川のくろ谷橋は絶景の地也。はせを翁の平岩に座して手を打ちたたき、行脚のたのしひここにありと、一ふしうたはれしもと、自笑がかたりけるに、なつかしともせちに覚へて”
                      今の手は何にこたへむほととぎす    句空  
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by hirai_tom | 2010-06-15 20:02