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2-1   

2009年 12月 28日

鶴屋にいた才次郎が屋根伝いに泉屋の離れに降り立ったのは、子の刻を過ぎていた。月は無く、闇をぬって微かに犬の遠吠えが聞き取れる。
 「桃青」
 「おう」
 と翁は思わず声を発していた。それは十余年ぶりに聞く、まぎれもない才次郎の声であった。懐かしさのあまり思わず発した自分の声の大きさを照れるように、芭蕉は板戸に手をかけていた。
芭蕉と才次郎との出会いは随分古いものであった。二人の出会いは北村季吟の句会に始まっている。
 当時、伊賀上野にいた芭蕉(当時宗房)は主君藤堂新七郎良忠(号蝉吟)を失い、前途の定まらぬ悶々とした日々を送っていた。そうした中で、京の季吟の許へ再び通う宗房の姿が見られるようになっていた。失意の中に俳諧の道を模索していたのである。
 才次郎もまた、故あって北陸の地からはるばる京を訪れていた。京での季吟門下、以春を中心とする仲間との交友や、貞門俳人との交流の中に、二人の運命的な出会いが生じていた。二人に共通する感性は、洗練された京文化の中でよりいっそう磨かれ、世人の追従を許さぬ世界観を造りつつあつた。その後、宗房は藤堂藩の密命を帯び、江戸に下ることになる。
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by hirai_tom | 2009-12-28 23:40

1-4   

2009年 12月 25日

 正面の廊下を真直ぐ進むと瀟洒な庭、その庭をコの字型に廊下が仕切り、庭ごとに離れが設けられている。翁の通された部屋は一番奥の離れである。

 浴衣娘(ゆかたべ一)と呼ばれる十五、六歳の娘達が着替えを手伝いながら、
 「さあ、旦那さん方、旅の疲れは”山中のだら長湯”が一番ですよ」
 などと話しかけてくる。
 この街の旅籠には内湯はなく、湯元である湯座屋の周りを囲むように旅籠が建ち並んでいる。湯座屋は泉屋の目の前である。ゆかたべ一に浴衣を渡すと、三人は湯煙の人となった。山中のだら長湯とは言い得て妙である。入った時はそれほど熱くは感じないのでつい、だらだらと長湯をしてしまう。
 芭蕉はいつの間にか、この地に安らぎを感じ始めていた。どこからともなく追分調の地歌が流れてくる。

   はあ~あ~あ~あ
      わたしゃ おすみ娘~に 惚れて~は~ おおれ~ど~
                    座敷~雨戸で縁がな~い
      座敷~雨戸~で 縁は~な~い~け~ど
                    主と~わた~し~は 縁があ~る
                           さあ~ちょい~ちょいと

 哀愁を帯びた掛け合い歌に耳を傾けながら、翁は疲弊した身体をどっぷりと湯に浸した。湯煙が立ちこめる湯船の向こうには曽良と北枝の姿がもうろうとして見える。高窓から差し込む夜の光が、湯壺の中の小さなうねりに青白く反射し拡散していった。
 翁は目を閉じ、旅すがらひねった句を辿っていた。

 「山中や菊は手折らじ湯の匂い
     山中や菊は手折らぬ湯の匂い」
 九谷の才次郎には格好の手土産となろう。
 湯船から上がると、外には頬を紅潮した娘達が戸板にもたれながら、夜空に声を聴いている。ふる里、伊賀上野に近い上方訛りとこの湧き湯は芭蕉にとっては正に、桃源郷であった。

 “やまなかやき九はたおらじ湯の匂い”翁は意味あり気に含み笑いをした。
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by hirai_tom | 2009-12-25 14:45

1-3   

2009年 12月 21日

 三方の山々が雑木林の台地を囲み、一筋の街道が、その山間の台地に小奇麗に伸びている。なだらかな林の茂みを、チヨッ、チヨッと、ミソサザイであろうか、鳴き渡る声が、周囲に心地よく響いている。
 「この様なのどかな処で泉屋の若亭主は、どのような句を作られるのかな。
 北枝は、しばらく閉じていた眼をあけると、
 「ああ、良い句が御座いました。」
   凧切れて白根が岳をいくえかな
   山人の昼寝をしばれ蔦かつら
 「まだまだ御座いますが。」
 「いやいや、楽しみは後ほどにいたしましょう。蔦かつら。これは早く逢いたい御人じゃ」
 芭蕉は、”山人”の句が気になっているようであった。
 山中湯は、奈良に都がある頃に僧行基が紫雲たなびく湧き湯を見つけ、後、一時途絶えていたものを、能登穴水の領主であった長谷部氏が鎌倉期に再興し、家来衆を住まわせ温泉を管理させたのだという。
 やがて“これより山中湯”と云う木戸門に近づく。雑木林は整然と畑地に転化され,湧水が水路を造っている。木戸の門番は町衆の持ち回りだという。
 門をくぐり抜け、畑に点在するいくつかの納屋を過ぎると、土蔵を構える屋敷が数件続き、街並みとなる。前方の火の見櫓越しに寺院の甍が見え、手前の路を右に折れると、左右に整然と旅籠が並んでいる。正面の大きな敷地には、どっしり構えた湯元と思しき甍、それを取り囲むように商家と旅籠が軒を競っている。
 泉屋は湯元のすぐ目の前にあった。格子構えの大きな旅籠である。
 「お師匠様で御座いますか、亭主の久米之助で御座います。今か今かとお待ち申しておりました。さぞやお疲れの事に御座いましょう。」
 温厚な若者は、いくらか緊張した面持ちで翁ら一行を出迎えた。湯質によるものか、目を引く色白さに、翁は狼狽を覚えていた。
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by hirai_tom | 2009-12-21 14:36

1-2   

2009年 12月 15日

 岩場を下って行くと、こんもりと茂った大きな桂の木が視界を阻み、その向こうから人声が聞こえてくる。平地に降り立つと、二十人ばかりの男女が、声高に笑い合っている。
 「さあ、此方で一服しましょう。今、美味しい湧水を汲んでまいります。」
 
 苔むす岩盤一帯を包み込むような大樹の脇には地蔵尊が祀られ、削られた岩間には竹杓が置かれていた。北枝は湧水の入った竹筒を曽良に渡すと、照れるように何かを喋った様だったが足早に戻って行った。
 やがて、数人の嬌声が小高く響き、北枝はもうその笑いの中にいた。
行き交う人達は皆、この湧水を飲んで行くようであった。女達は、山中湯で朝市を済ませた橋立浦の海女らしく、ここでは、近郷の野菜売りのじいさん達との情報交換の場となっているらしい。数人の小奇麗な女達は、浴客の出迎えだろう。上方訛りの口調で語られる悠長なやり取りは、翁の心を和ぐませていた。振り返ると随分長い旅であった。ようやく目的の地に着いたという感慨が翁にはあった。
あれから早、二年の歳月が流れていた。才次郎は一日千秋の思いで待ちわびているに違いない。再会の光景を思い浮かべる翁であったが、遠雷と周囲のざわめきがいつまでもそれを許さなかった。いつの間にか、山手の方に湧き上がった黒雲が、みるみる、此方に向かって覆いかぶさって来る。雲間の光の中に白い雨脚がとらえられた。男女のざわめきが大樹に吸い込まれていく。
「御師匠。早く此方へ、此方へ。」
桂樹の中から北枝が手招きをしている。
芭蕉も又、桂樹の人となった。北枝は、女達の濡れた裾のみだれを、何やかやと気遣って声高に笑っている。
やがて、明るさがよみがえると、雨水が大樹をつたわり、じわっとした北陸路特有の湿っぽい気配が、周囲一面に充満していった。
「なあに、通り雨ですよ、さあ、曽良様元気を出されい。すぐにも湯の香が匂ってきますぞ。お泊りの泉屋までは、小半時もあれば充分でしょう。」
 北枝は浮き浮きしていた。芭蕉もまた胸の高鳴りを感じていた。桂樹越しに空を仰ぐと、気持ちの高揚を押さえるかのように、ゆっくりと腰を上げた。
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by hirai_tom | 2009-12-15 14:43

1-1   

2009年 12月 15日

山背郷を過ぎ、なだらかな雑木林を黙々と進む、小径が時折二手に折れ、それらが茂みの中に消えていく。雑木林の向こうには小さな山並みが、さざ波のように横たわっていた。
一時ばかり歩いたであろうか、一瞬のそよ風がせせらぎの瀬音をかすかに運んだようだった。「大日山を源に、山中湯、大聖寺城下へと注ぐこの渓谷は、今の時節は浅瀬が多くなります。山沿いで山中湯の道もあるのですが、ここはひとつ、谷沿いの道をとりましょう。」
 先に立って歩いていた北枝は、云うが早いか自慢の大杖をヒヨイと担ぐと、一気に駈け出していた。下りにかかった小径の向こうには、木々の間から川面が姿を見せ始めている。突然、北枝の消えたキララと光るところに水しぶきが上がった。
 「北枝は山中湯がよほど恋しいと見えますなあ。」
 翁の顔を覗き込むように、二ヤリと曽良は笑った。
 浅瀬を渡り、どれくらい歩き続けたであろうか。いくつかの小さな集落のたたずまいが、浅い灌木の間から何度か見え隠れし、それらの集落を仕切るように小さな谷の流れが渓谷に流れ注いでいる。谷川に架かるいくつかの丸木橋を渡ると、黄金の波打つ村落に出た。谷沿いに登るように進み丸木橋を渡ると、小さな山波はいつの間にか姿を消し、山々の茂みが急にせり出してくる。
「さあ、一山越えとますとすぐに山中湯ですぞ」北枝の声は一段と大きかった。 
迫出した木々の茂みを分け入るように一行は山路を登り始めた。はさがけの準備が進む段々の畔道が、下方に消えていく。 
坂道を登りきると、なだらかな対岸の山並みが、木々の茂みの間から見え隠れする。下方に岩場が見える。北枝の脚が一段と早まったようだ。岩場に立ち、振り返る姿に促されるように翁等は、転がるように岩場に向かうと突然、渓谷の瀬音と共に、松の緑が稜線として浮かび上がった。
 「どうです。一汗の後の絶景は。あの松山の頂から見下ろす山並みの中の山中湯は、正に絶景なんですが。やはり、山沿いの道を取るべきでしたかな。」
 北枝の自慢げな高笑いが緑の稜線に木霊していった。
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by hirai_tom | 2009-12-15 13:58

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2009年 12月 15日

   七月二十七日(陽暦九月十日)
           同晩、山中ニ申ノ下刻着。泉屋久米之助方ニ宿ス。山ノ方、南
ノ方ヨリ北ヘ夕立通ル。 『曽良随行日記』
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by hirai_tom | 2009-12-15 13:55

プロロ~グ   

2009年 12月 15日

九谷の藍の中皿が芭蕉の手元に届けられたのは、貞享四年(1687)の初夏の頃であった。皿には符牒と思しき難解文字、裏面には「芭蕉造」の銘が見られた。
 加賀の才次郎の身に何かが・・・・・。翁の顔が一瞬、強張ったかに思われた。
芭蕉と曽良が、目指す加賀の地に入ったのは、元禄二年(1689)盂蘭盆の十五日(陽暦八月二十九日)のことであった。
倶利伽羅峠を越えると、百万石を誇る城下町金沢である。藩主前田公は代々工芸、文化に力を注ぎ、京、江戸に勝るとも劣らぬ文化の華を咲かせていた。当然のように俳諧も盛んであり、芭蕉は盛大な歓迎を受けることになる。九日間の金沢滞在後、刀研師、立花北枝が道案内を兼ね、同行二人の旅に加わることになった。
小春、牧童等に見送られ、一行は八里の道を小松に入る。目的地山中湯は五里に迫っていた。利常公ゆかりの小松で二泊した一行は、北国街道の小松林を今江潟、柴山潟と巡り、白山の峰々を見ながら山背郷に入る。
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by hirai_tom | 2009-12-15 13:51