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2010年 01月 27日

俳聖松尾芭蕉としての名声が加賀の才次郎の許に届くには、それ程の時を要しなかった。その句を風の便りに聞いた才次郎は、桃青が押しも押されぬ俳諧宗匠としての道を歩き始めたことを確信した。
 “古池や蛙飛びこむ”に続く“水の音”には、彼等にしか掴み得ない感性があった。
 
 かって、彼等達の祖を動かしていた人物は、小堀遠州公であった。幕府の伏見奉行であり、藤堂高虎公とも姻戚関係にある遠州公が造園師・茶人として桂離宮をはじめ、各大名家の庭園造りを手掛けている裏にはそうした背景があった。彼は利常公の依頼で加賀の地にも度々訪れている。祥瑞五郎太夫も又、遠州公の命により渡明し後、“肥前””九谷“に大きな影響を及ぼすのである。遠州亡きあと、藤堂藩は久々に俳聖芭蕉という大きな情報集団を育て上げたのである。

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by hirai_tom | 2010-01-27 01:33

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