10-10   

2010年 05月 23日

「左様か。お主が以前見せてくれた久隅守景の絵皿は確か、能登の漁法“ボラ待ち櫓”と云ったか、何故、九谷の絵皿にと思わぬ事も無かったが、左様であったか。」
「はい、肥前からの白磁には定次が絵付けを致しました。守景の下絵は皆其の頃の物で」
「守景は金沢に居たと聞き及んでいたが、能登の方にも出向いて居たか。」
「はい、能登は佐渡に近こう御座いまして。佐渡には御子息が」
「何、久隅の息子が流されて居たのか。」
「はい、狩野探幽の弟子で、久隅彦十郎(後、狩野守則)と云ったが、この御子息“悪所通い“と云う事で探幽様が勘当して居る。何故か、久隅一家は皆、狩野派から破門と云う事に。彦十郎の姉、雪も清原雪信と云うて名うての才女で有ったが是も、同塾生との駆け落ちでな。」
「久隅守景と云えば、探幽が最も頼りとしていた人物で在ったが。」
「はい、探幽門下の“四天王の一人”と言われ、妻の母親は探幽の妹故、師の姪に当たります。」
「守景が狩野派を出るには余程の事情が有ったとせねばなるまい。」
「擦れば、例の絵皿。放蕩息子をじっと我慢して待っている親の姿やも」
[PR]

by hirai_tom | 2010-05-23 22:30

<< 10-11 10-9 >>